色の勉強をしていると色の視点から見た日本や世界の歴史を勉強することになります。

そもそも色って、今みたいに簡単に手に入れることが出来なかったので、洋の東西を問わず自由に色を使える、ということ事自体が権威の象徴でした。

*パワーストーンで人気のラピスラズリなんて金より高くて使える人はめっちゃ限られていたのです!

ラピスラズリはパワーストーンで人気ですよね♪

日本の色の歴史に大きな影響を与えた陰陽五行説

さて、日本における色の歴史を見ていくと、必ず目に触れるものがあります。それが陰陽五行説です。

遣隋使など、歴史で勉強されたと思いますが、飛鳥・奈良時代はご存知のように、断然中国のほうが文化的に進んでいたので、日本は、いろいろな意味で中国をお手本にしていきながら独自の発展をしていきます。

飛鳥時代の官人。姓は臣。冠位は大徳。 『日本書紀』によれば、推古天皇の時代に冠位大礼で大使に選ばれ大唐(当時の隋)に派遣された。

 

その1つが「陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)」で、実は色の観点だけではなく、その考え方などが今の私たちの生活の中にもしっかり根付いています。

①冠位十二階の制

最初に、日本の文化に一番影響を与えたものとしては、推古天皇摂政であった聖徳太子によって603に制定されたとされている冠位十二階(かんいじゅうにかい)の制。

推古天皇です

これは朝廷に仕える官吏や貴族たちの位が大徳・小徳・大仁・小仁・大礼・小礼・大信・小信・大義・小義・大智・小智という十二の階級へと区分けされたうえで、それぞれの階級に対応する十二の色が割り振られ、各自が宮中に参内する時に身に付ける冠の色の違いによって、冠位の違いのあり方が明示されたものです。

冠位十二階における大徳・小徳・大仁・小仁・大礼・小礼・大信・小信・大義・小義・大智・小智という十二の階級のそれぞれの位階に対応する色分けの区分のあり方については、諸説あるものの、一般的には、最上位にあたる徳の位から順に、紫・青・赤・黄・白・黒という六色の色が割り当てられています。

さらに、大徳と小徳といった冠位における大小の違いに応じて、大徳は濃紫、小徳は薄紫といった色の濃淡がつけられることによって、全部で十二色に及ぶ色彩の序列関係が定められていたと推定されています。

そして、こうした紫・青・赤・黄・白・黒の六色のうち、紫を除く青・赤・黄・白・黒五色については、古代中国における陰陽五行説の思想において、木・火・土・金・水の五つの元素に対応するあらゆる色彩の源となる色、すなわち、正色(せいしょく)として位置づけられている色で、日本においても、こうした古代中国思想の影響を受ける形で、冠位十二階におけるそれぞれの階級を表す色の選定が行われていったと考えられることになるのです。

②最高位が紫なのは道教思想の影響

最も位が高い身分の人が紫を使う、というのは、道教思想に影響を受けたといわれています。

道教では、人間社会における様々な事象の変化を説明するための道筋として、宇宙における天体の運行のあり方が重視されていくことになるのですが、そうしたなかで、例えば、地上から見ると自らはほとんど動かず、他のすべての星々がその周りを回転しているように見える北極星が神格化されて、北極紫微大帝(ほっきょくしびたいてい)と呼ばれる至高神の一柱として位置づけられています。

そこで道教の神は北極紫微大帝と呼ばれれ、天地万物を支配する至高神である天帝とも同一視されていて、古代中国の天文学においては、そうした天帝が住まう領域である天球のなかでも最も高度の高い至高の領域は、紫微垣(しびえん)と呼ばれ、紫が使われました。中国の紫禁城も紫が使われています。

陰陽五行説についてはなんとなく聞いたことあるなぁ、という人や占いの本とかにあるよねぇ、と思った人も多いかもしれませんが、

この冠位十二階の制以外にも様々なものに陰陽五行説は取り入れられています。それでは「陰陽行説((いんようごぎょうせつ)」についてみていきましょう!

陰陽五行説とは

陰陽五行思想(いんようごぎょうしそう)は、中国の春秋戦国時代ごろに発生した「陰陽説」と「五行説」が結合したもので、「陰陽思想」と「五行思想」との組み合わせでより複雑な事象の説明がなされるようになったものです。

陰陽説とは

陰陽説は、すべての事柄は、陰と陽からなりそれらがお互いに影響しながら補いあい、調和しあって万物を生成し、発展していくという考え方です。

宇宙の原初の状態を「太極(たいきょく)」といって天地が陰陽に分かれていないすべてが混ざった渾然たる状況で、森羅万象は、「太極(たいきょく)」から陰と陽に分けられ、陰と陽の在り方によって様々な事象を説明できるとされました。

*この図は太極図です

陰陽は、例えば天と地、火と水、男と女、動と静、昼と夜、太陽と月、表と裏など様々なものがあります。

陰陽表です♪

そして、この相反するものはそれぞれが独立して存在しているのではなく陰陽がお互いに依存しあって存在していて、片方があるからもう片方も成り立つ、という考え方です。

ただ、地球においては完全な陽や完全な陰はなく、必ず、少しでも相反するものの要素が片方の中には存在します。

陰の中にも陽の性質はあり陽の性質の中にも陰の性質があります。そして、それらがお互いにバランスを取りながら常に変化しています。

陰が増えれば、陽は減り陽が増えれば、陰が減るという変化が行われ、循環しています。そして、陰が極限まで増えると陽に転じ、陽が極限まで増えると、陰に転じるという性質があります。

日本では奇数が大切にされてきた!

陰陽説における数の考え方では奇数が陽の数で、偶数は陰の数になっています。そのため、日本料理は奇数がおおいのですが、それはやはり奇数が陽だからです。

もてなしのための正式な膳の本膳料理は「一汁五菜」、茶の湯の懐石料理は一汁三菜が基本。お造りや炊き合わせの食材の数も七、五、三と奇数にすることが多いのです。

また、写真のようにご飯茶碗を左に、汁椀を右に配膳するのも、ご飯は、日本人には思い入れのある格別の主食で稲は神様から賜ったありがたい食物。そのため、左の陽の位置に置くということなのです。また、水は陰なので汁物を右に置くのも対応していますね。

また結婚式などのご祝儀の金額って割り切れない奇数にしますよね!これも陽の数のおめでたい奇数であることと、「割る」や「別れる」をイメージさせないため。日本ならではの陰陽説と言霊の文化のしきたりです。

五行説とは

古代 中国 に端を発する 自然哲学 の思想で、万物は 木 ・ 火 土 ・ 金 ・ 水 (もっかどごんすいと読みます)の5種類の元素からなるという説です。

この5種類の元素は「互いに影響を与え合い、その生滅盛衰によって天地万物が変化し、循環する」という考えが根底にあります。

五行の相生(そうしょう

木は燃えて火を生み(木生火)、火は燃えて土になり(火生土)、土はその中から金を生み(土生金)金は冷えると水を生む(金生水)
そしてその水は木を育てる(水生木)…、というように、五行が循環していく、いわゆる「五行の相生(そうしょう)」の関係はこのようになっています。

五行の相剋(そうこく)

一方、五行がそれぞれ打ち消していく、あるいは働きかけていく関係は「五行の相剋(そうこく)」で、木は根を張って土を砕き(木剋土)、土は水を濁らせ(土剋水)、水は火を消し(水剋火)、火は金を溶かし(火剋金)、金は木に切り込む(金剋木)という関係にあります。

五行の比和(ひわ)
五行の比和の関係は、木と木、火と火、土と土、金と金、水と水は相乗効果でますます盛んになることをいう。これが良い方向へゆけば「さらに良くなる」となるが、逆に悪い方向へゆくと「ますます悪くなる」ということになります。

そして、五行には色や四季や方角と聖獣が配当されています。

木=「青」「春」「東」「青竜」…ここから青春がきてます。また、若い皇太子が住まわれるのが東宮御所です。

火=「赤」「夏」「南」「朱雀」…朱夏(しゅか)は人生の真っ盛りの年代、主に壮年時代を指す言葉として用いられます。

土=「黄」「土用」「中央」…季節の変わり目に割り当てられ、これを「土旺用事」、「土用」と呼びました。

皆さん、土用の丑の日にウナギ、たべますよね♪

そして中央、つまりその国を治める人が着るのは黄色です。なので、日本でも皇太子殿下や天皇陛下は黄色系の着物を着られます。

天皇陛下が着られるのは黄櫨染(こうろぜん)、皇太子殿下が着られるのが丹黄(おうに)です

金=「白」「秋」「西」「白虎」…北原白秋の白秋はここから来ました。また白秋という言葉としての意味ではないですが、現代でも子供の手が離れ、孫ができる年齢のことを指して、「人生の秋」と形容することはよくあります。

水=「黒」「冬」「北」「玄武」…玄冬の意味は生涯 において最後の時期、老年時代を指す言葉として用いられます。具体的には 60代 後半以降と定義されています。

風水四神獣と地勢

 四神獣は、風水とも深く関係があり、四神を配した地は風水では最良の地とされ、邪気を遮断し、福禄・無病・長寿を呼び込むとされました。大地の四方の方角を司る「四神」の存在に最もふさわしいと伝統的に信じられてきた地勢や地相のことを四神相応(四地相応)といいます。

そして四神相応の地とされているのは、東に清き流れがあるのを《蒼(青)龍》、南が広く開けた湿地帯(海、湖沼)であるのを《朱雀》、西に大きな道が続くのを《白虎》、北に高くそびえる山があるのを《玄武》とされています。天空の東西南北を司るそれぞれの獣神を風水四神獣とも呼びます。
平城京の遷都の詔に四神でなく「四禽」と書かれていますが、賀茂川(蒼龍)、巨掠池(朱雀)、山陽道もしくは山陰道(白虎)、舟岡山(玄武)に鎮護される平城京は四神相応の都とされ、平城京や平安京、また江戸の町も四神相応の都です。

江戸の町も四神相応の都

江戸幕府・三代将軍・家光は上野寛永寺を開山した「天海僧正」の発案により、「江戸」の鎮護と天下泰平を祈願して、「江戸城」の回りに5ヶ所の「不動尊」を選抜しました。江戸幕府が開かれるはるか以前からあった「目黒不動」を基に、密教における一切のものが地(黄)・水(黒)・火(赤)・風(白)・空(青)の五大要素(五行説)からなるとしていることから(方位説・目の色説など諸説あり)、この5ヶ所の「不動尊」を「目黄(めき)」・「目黒(めぐろ)」・「目赤(めあか)」・「目白(めじろ)」・「目青(めあお)」と名付けました.

カラーコーディネーター 涼子カラーコーディネーター 涼子

目黒や目白は地名として残っていますよね!

陰陽道とは

この陰陽五行説を起源として、日本で独自の発展を遂げた呪術や占術の技術体系を「陰陽道(おんみょうどう)」といいます。

そして、陰陽道に携わる人が「陰陽師(おんみょうじ)」です。

映画の「陰陽師」を見た人や、漫画などで読んだという人もいると思います。またフィギュアスケートの羽生選手が、「陰陽師」で

私たちを感動させてくれましたね。

陰陽寮とは、古代の日本の律令制において、陰陽師が所属していた中務省(なかつかさしょう)(現在の宮内庁です。)に属する組織の一つで、陰陽師たちは、天体観測や占星暦の作成や風水的なものを専門にしていました。

私たちも普段の生活の中で、何か良いことや悪いことがあると「何か見えない力がはたらいているのでは?」と、人知を超えた力を思う人もいると思います。

科学など知らない当時の人は、吉凶の判断や悪霊の存在を今より信じられていたので陰陽師はとても重要視されていたのです。

しかし、明治維新後明治政府により陰陽道は迷信として廃止されてしまいます。

現代の生活の中にみる「陰陽五行説」

しかしその考え方は、私たちの生活の中の習わしや風習としてしっかり根付いていて、この五行の色の青、赤、黄、白、黒は様々なところで使われています。

5月5日の鯉のぼりの吹き流しは五色の魔除けの意味があります。

七夕飾りの吹き流しや短冊も同様です。

また、本来は端午の節供のちまきに五色の糸が結ばれており、

私たちが祝いのシーンで使っているくす玉も、菖蒲やヨモギで編んだ薬玉に五色の糸をたらして、端午に魔除けをするためのものでした。

ほかにも、寺社に行けば五色のものがたくさんありますし、相撲の土俵の上には、東に青、西に白、南に赤、北に黒の房がさがっており

中央の土俵が黄にあたります。そうそう、一番身近なものは曜日もこの陰陽五行説からですよね。

節分の本来の目的とは

節分の豆まきは、実は冬の季節を終わらせ、春を迎えるための迎春呪術。

冬である水気を終わらせ、春である木気を強める。そのために、木気を剋する関係性にある金気の象徴である大豆を、投げる前に煎り、投げることで、春を迎えようとしているんです。

そして豆をまくときに登場する鬼!鬼といえば、派手な黄色と黒の虎しま模様のパンツがお決まりです。これも陰陽五行説の「鬼門」と深い関係があります。

鬼というのは穏(おん)の音が転じたもので「隠されて目にみえない存在」とされ鬼は北東の鬼門からくると信じられていました。

北東の位置は「丑寅」の方向そのため、鬼には牛の角があり、虎のパンツなのです。

他にもたくさん陰陽五行説に関わる話はたくさんあるので、またご自分で探してみてくださいね。

カラーコーディネーター 涼子カラーコーディネーター 涼子

身近に赤青黄白黒は五行説とかかわりがあるものが多いので探してみると面白いですよね