7月のお花といえば朝顔を思う人も多いですよね

初夏になると様々なところでよく見かける花ですし、小学生の夏休みの宿題で朝顔を育てた、という思い出がある人も多いですよね。

 

今回はそんな7月をイメージするお花、朝顔についてみていきましょう。

朝顔(アサガオ)の花言葉は「はかない恋」「固い絆」「愛情」。朝顔の開花時期は7月~9月。

そんな朝顔は、七夕のイメージもあるお花なんです。

朝顔の歴史

朝顔はいかにも日本のお花というイメージですが、その原産地は日本ではなく中国です。(英語では「Japanese morning glories ジャパニーズ・モーニング・グローリー」ともいわれて中国原産にもかかわらず、海外では日本の花として認識されているようです。)

奈良時代末期または平安時代に中国から薬草として伝わったとされています

下剤の作用がある成分が含まれており、日本に伝来してからも長い間薬草として扱われてきたんです。

実は朝顔の別名は、「牽牛花(けんぎゅうか)」といい、この牽牛とは中国語で、彦星のことを指していのだそうです。

朝顔の花が咲いたら、彦星と織姫が出会えたことを表していると言われていたのだそう。

そのため、朝顔が咲くことは縁起の良い事と言われていました。

それは、朝顔の花が咲くことは、織姫と彦星が年に1回出会えた印の意味。

なんともロマンティック話ですね…。

朝顔市の歴史

このように朝顔の花は、七夕と関係していることもあり、7月には全国で朝顔市が開催されます。

東京では下町にある入谷鬼子母神いりやきしもじん(真源寺)の周辺で開催される「入谷朝顔まつり」が有名です。

*今年もコロナで朝市は中止とのこと。残念ですが、ネット販売をしているので興味ある方は覗いてみてください。

朝顔ブーム

①第1次朝顔ブーム

朝顔市の歴史は古く江戸末期の文化・文政期(1804~1830)になると、第一次朝顔ブームが到来したようです。

このブームの発端は、1806年に起きた江戸大火(丙寅の大火)。

この火事で、下谷(現在の東京都台東区)に大きな空き地ができ、そこで植木職人たちが品種改良した朝顔を栽培し、人々の注目を集めましたそうです。

特に、現代では「変化朝顔」呼ばれる、一風変わった姿の朝顔が人気を集め菊などと並んで高値で取引されたとのことで、当時の朝顔熱はかなりだったとのことです。

②第2次朝顔ブーム

嘉永・安政期(1848~1860年)になると朝顔の第2次ブームが起こります。

1200もの系統が生み出されたといますから、人々の朝顔熱はまだまだ冷めていませんでした。

この第2次ブームをけん引したのは、植木屋の成田屋留次郎。自ら「朝顔師」と名乗り、朝顔の品種改良に没頭しました。

また、商売のかたわら園芸に関する本の出版も行ったり朝顔の品評会の「花合わせ会」を開いて、ブームに拍車をかけたとのこと。

そして明治時代になると、朝顔栽培の拠点は入谷に移りましたが朝顔人気は相変わらずで、「東京朝顔会」などの愛好会が結成されました。

この頃になると人々の嗜好が変わり、変化朝顔の中でも大輪咲きの朝顔の栽培が主流となり、あでやかな大輪の朝顔が多く並んだ入谷の朝顔市は、当時から多くの人でにぎわっていたそうです。

 

千利休の朝顔

また、朝顔にまつわる話としては千利休と秀吉にまつわる有名な話があります

利休の屋敷に美しい朝顔が咲いている、とのウワサを耳にした秀吉が、「ぜひ見たい」と利休に申し入れ朝早く利休宅に出向いたところ

どうしたことか一輪の朝顔の花も見えません。

「朝顔はどこじゃ!」と秀吉がいうと利休は、なんらうろたえることなく、

茶室へと案内し身を正した秀吉の目にとびこんだのは、床の間にいけられた、

まっ赤な一輪の朝顔でした。しばらく、じーっと見つめていた秀吉は、「利休、みごとじゃ!」と一言!

利休は、あれほど、たくさん咲いていた朝顔の中から、最も美しい一輪を茶室にいけ、他はすべて切り取ってしまっていたのでした。

この話は、その日の内に人から人へと伝わり、茶の湯の師匠としての利休の名を一段と高めたのでした。

利休の朝顔から思うこと

さて、この話、色々な解釈の仕方があると思います。一期一会という言葉、茶道においての心得としてとても有名な言葉です。

それは「目の前のお茶会に、一生に一度のお茶会と思い臨むこと」を表した言葉。

まさにこの話は、そうした精神を表す逸話の一つでもあると思います。

ちなみにこの言葉そのものは利休が言ったわけではないようです。利休が伝えた茶道のあるべき姿として井伊直弼著『茶湯一会集』が初出だそうです。

一輪の朝顔に他の切り取られたすべての命を託す…。利休の究極の美意識とあわせ、壮絶なまでの、また命を懸けた「茶の湯」に対する思いを感じさせます。(事実、利休は秀吉に切腹を言い渡されるわけですが)

また秀吉といえば戦国の下剋上の頂点に立った人。

まさに色々な人達の死を背景に頂点に立った秀吉だからこそ、この一輪の朝顔を秀吉は、どのように受け止めてそして見たのか、

非常に興味があるところです。

「死」というものが今の時代より、もっと身近で、それこそ誰もが「明日死ぬかもしれない」という思いを、常に持ち続けていた

時代の人たちだからこその、ひりひりするようなやり取りにも感慨深いものがあります。

現代の日本に、おいてはそこまで切羽詰まった命のやり取りを、誰もがしている時代ではないのでそんな緊迫感をもって毎日過ごす必要はないのですが、

1日として同じ日は来ないというのは、昔も今も同じなわけです。

自分の人生に対して一期一会の気持ちで改めて自分の人生を考えて、軌道修正を図ることが大切な時が、人には

きっと何度かあるのかと思い出させてくれる話だと思います。