光や色は神様がつくられた、というキリスト教と教会が中心だった中世でしたが、ルネサンスの時代になると様々な表現が可能になります。
ルネサンス時代の色彩や技法がどのようなものだったのか、特にルネサンスの中心イタリアのルネサンスを見ていきましょう!
ルネッサンスとは
「ルネサンス」とは、「再生」「復活」を意味するフランス語で美術史的には、14〜16世紀にイタリアと北方フランドル地方で興った、ギリシャ・ローマの古典様式を再生しようとする芸術運動のことです。
特にイタリアでは、古代ローマの栄えた土地であるため古代建築が数多く残っていることから、この運動の中心となりますが、これを「イタリアンルネサンス」といいます。
絵画では、ジョット・ディ・ボンドーネ(1267-1337)の「スクロヴェー二礼拝堂」(1305)のフレスコ画「聖母マリアとキリストの生涯」などがその始まりとされています。
ジョット・ディ・ボンドーネ
「イタリア絵画の父」「ルネッサンスの曙」と呼ばれるジョットの偉業とは
これまでの絵画のほとんどが型にはまった宗教画で人間の感情を表現したものがありませんでした。
・これまで主流だったビザンチン様式ではなく、200年以上使われていなかった古代ローマ風様式を取り入れた。
・人間的な表情や感情を(日常的なしぐさなど)明確に表現した。
・遠近法や3次元的な立体感を表す画期的な方法を取り入れた。
これらの表現により、書かれている内容や意味が民衆にも分かりやすく、宗教画をより身近なものにしたといわれています。
有名な「ユダの接吻」では、前景のキリストや聖徒たちは赤の着衣、ユダはキリスト教の伝統にのっとり黄色の着衣で描くことで、背景とのコントラストで一層ユダを目立つ存在にしています。
また、ジョットは背景を青にしていることが多いのですが、この青は鉱物顔料のアズライトを使っていてこの青を と呼ばれています。
「絵皿法」の確立…
また、ジョットの功績は、古代のフレスコを革新的な手法で復活させたことといわれています。絵皿法は、フレスコ画は漆喰に顔料を混ぜて描く技法ですが、漆喰が乾くと絵具が定着してしまうので、乾く前に素早く描く技量が必要でしたが、絵具を絵皿ごとにわけて、迅速に彩色する革新的な方法を採用しました。
3人の天才
レオナルド・ダ・ビンチ(1452-1519)
レオナルド・ダ・ヴィンチは盛期ルネサンス・フィレンツェ派の画家。新しい技法や大胆な構図にチャレンジした画家だけではなく、デザイン、設計、音楽、数学、天文学、解剖学にも精通していました。
レオナルド・ダ・ヴィンチのダ・ヴィンチはヴィンチ村の出身を意味しているので、ヴィンチ村のレオナルドさんということなんですよね…。
イタリアルネッサンスの巨匠レオナルド・ダ・ビンチは視覚・色彩・光を科学的に研究し「絵画科学」と認識していました。
レオナルドは、小石についた縞模様や、風にそよぐ葉を照らす光など、自然のごく小さな部分からでも普遍的な法則を導き出しました。
レオナルド・ダ・ヴィンチは人類史上初めて正確に人体解剖スケッチを描いた人でもありました。人体の解剖をスケッチしたことで、よりリアルな筋肉の動きなどを描くことが出来たといわれています。
そして、現実的な表現としては、透視図法、明暗法(キアロスクーロ)、空気遠近法によって表現されました。
透視図法 … ある一点を視点とし、物体を人間の目に映るのと同様に、遠くを小さく近くを大きく描く図法のこと。
明暗法(キアロスクーロ)…絵画で「明と暗」「光と影」の対比や変化などがもたらす効果を用いて立体感、もしくは遠近感を当たらす方法。
空気遠近法(スフマート)…色に焦点を当てて、遠くのモノと近くのモノの距離を表す手法。一般的に知られているのは「遠くのものほど青い」「遠くのものほど大気の色に近くなる」「遠くのものほど大気とのコントラストが弱い」の3つがポイントです。
この「空気遠近法」の、色や物の輪郭をかすみのような影によって和らげるスフマートは、レオナルドが発見したものです。絵の背景となる風景の描写では空気遠近法を試み、自然の法則に即した技法でより立体感が表現できます。
レオナルドは1492年のノートで、5倍遠く離れて描こうとするものは5倍青く描け、と記述しています。
ミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564)
盛期ルネサンス・フィレンツェ派の彫刻家であり画家。フィレンツェ共和国の市民に生まれ、少年期にメディチ家のロメオ・メディチの保護を受け、美術家となります。「神のごとき」と称され、教皇ユリウス2世、パウルス3世の下で数々の作品を世に出しました。
バチカン・システィーナ礼拝堂
天井画に「天地創造」(1508-1512)、祭壇壁画の「最後の審判」(1535-1541)はそのスケールの大きさ、ダイナミックな構図、彫刻的な群像表現、そして色鮮やかな色彩表現は後世に多大な影響を与えました。
このシスティーナ礼拝堂の人物表現に用いたものが、16世紀後半のマニエリスムの最初の作品といわれます。
システィーナ礼拝堂では、裸体のベージュを基本とし、赤や橙などの暖色系にアクセントカラーとして対照的な色彩の緑をポイントにして、より華やかで鮮やかな色彩表現をしています。
*マニエリスム…マニエリスムはフランス語で、イタリア語ではマニエリズムモといいます。「技術上の特色のある手法の」「作風の」の意味でミケランジェロの「最後の審判」で描いた人物表現が圧倒的な表現力のため、ルネサンス以後の画家の規範となり、技法を洗練させたり、様式化、誇張化して描くことをさします。
ミケランジェロ本人は、画家でも建築家でもなく、彫刻家である、と自認していて、何よりも「構造」を重視していました。
ラファエロ・サンティ(1483-1520)
盛期ルネサンス・フィレンツェ派を代表するイタリアの画家・建築家です。ウルビノに生まれ、はじめはピエトロ・ペルジーノに学んだ後、若くして宮廷画家に採用されます。
フィレンツェに出てくると、レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロの影響をうけ、写実的な明暗法や肉付け法を基礎として、理想美を追求し「古典主義芸術」を完成します。
ラファエロは37年という短い生涯でありながら、繊細で美しい数々の聖母子像を描きました。優雅でバランス感覚に優れた典型的なルネサンスの画家として、19世紀までの長い期間、西欧の絵画の美の基準として崇められてきました。
ラファエロの表現の特徴
・厳選された主題の選択
・安定した構図(三角形で表された人物の配置、古典的なデッサン、計算された配色)
色彩的な観点で見ると、このシスティーナの聖母で使われている色は、マリア様の赤と青、そして緑と黄色とまさに赤に対して緑、青に対して黄色と補色の考え方であり、また「赤・黄・青」と三原色の理論も使っています。こうした色彩学の理論が知られるのは、まだかなり先の話ですが、レオナルド・ダ・ビンチにしても、ラファエロにしても、すでに色彩の理論的効果を絵画上で表現しています。
ラファエロは「聖母の画家」ともいわれ、数多くのマリア様を描いていて、特にマリア様は「ウルトラマリンブルー=ラピスラズリ」を用いて表現しています。
印象派の画家のルノワールはラファエロが大好きだったようですが、ルノワールの絵をみてもその影響はわかりますね…。
ルネサンス・ヴェネツィア派
ルネサンス・フィレンツェ派では、レオナルド・ダ・ヴィンチのように画家であり彫刻家、建築家、詩人、科学者と様々な分野に精通し、そしてデッサンをとても大切にしていました。それに対し、ヴェネツィア派では、画家は画家であり、線で描くことよりも色を大切にしていました。
特にヴェネツィアは、最大の貿易港として、香辛料や、絹織物、宝石、香料、新しい染料や顔料などを輸入していたので、ヴェネツィアの画家たちは、ほかのどの地方の画家よりも最新の顔料を手に入れることができました。
そして、ヴェネツィア派の画家たちの特徴は、顔料の使い方にこだわり、顔料その色そのものとあわせ、色と色の微妙なバランスや混ぜ方に工夫を凝らし、色彩で真実を描きました。特に色の鮮やかさや明るさを利用して、自然の光の効果を表現しました。
ヴェネツィアは、毛織と絹地の染色の中心地でもあり、定評のある色留め染料だけではなく、新しい色が開発されたので、ヴェネツィアの人は様々な色の服を身につけました。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1489-1576)
ティッツィアーノはヴェネツィア派の中心人物として活動した画家です。ティッツァーノは、「色彩の錬金術師」といわれるほど、筆遣いと色彩に特徴がありました。ティッツァーノは、油絵を十分に使いこなし、素描と彩色の過程の区別がつかないほど最初から絵具をたっぷり使って作品を描きました。
特にヴェネツィアは、湿気や塩分を含んだ空気がフレスコ画に向かなかったため、早くから油絵を用いられていましたことが背景にあったようです
特に晩年は、光の輝きや揺らめく微光の表現に苦心します。「光の効果」としての光を描き、のちの など、多くの画家に影響を与えました。
ティッツァーノは、通称ティティンと呼ばれ、ティッツァーノが好んだ赤で「ティティアンレッド」という色名がついたものまであるそうです。
油絵具の登場
15世紀初めに油彩技法が発達することで、色彩の可能性は無限に広がります。それまでの絵画は、フレスコ画や卵テンペラで描かれていました。つまり、鉱物などを砕いた顔料は粉末のためそれだけでは定着しないので、固定させるには、何か接着剤になるものが必要になるのです。
フレスコ画 …
石灰に砂や大理石の粉を混ぜて漆喰を壁に塗り、その漆喰が乾かないうちに粉末の顔料を水で溶いた絵具で絵を描くという技法。漆喰が乾くことで硬い結晶質の壁面が出来、その壁自体に色彩が色彩が定着する方法です。
フレスコ画
卵テンペラ画…
板絵の大半が卵テンペラ技法で描かれていました。この技法は粉末の顔料を水で練り、卵に混ぜて描くもので、絵具が乾いて卵のタンパク質が固まると、ビロードのような軟らかい光沢と貝殻のように固い絵肌が生まれます。
絵具はほとんど塗ったとたんに乾き始めるので、画面上で色を混ぜることは極めて難しいため、画面に塗る前に絵具を混ぜておかなければいけませんでした。
卵テンペラ絵具は乾くと縮んでヒビが入りやすいので、絵具を厚塗りして絵肌に変化をつけることは不可能でした。そのため、塗ったばかりの絵具にムラができないように細心の注意をはらい、ごく軽いタッチで、薄く透明な絵具を辛抱強く何度も塗り重ねていかなくてはいけなく、多くの手間と労力がかかる技法でした。
油彩画の誕生…
15世紀初めに油彩技法が発達します。油彩画は粉末の顔料を乾きの遅い油(亜麻仁油やクルミ油など)に溶いた絵具を用います。油は空気中の酸素を吸収し乾くと透明な膜を作り、その中に色を封じ込めるので、油絵具は重ね塗りが自由にできることが大きなことでした。
画家たちは、わずか3,4種類の顔料から20種類以上の色を作り出すことができるようになりました。
画家たちは、早くからなめらかで透明なグロッシの技術を開発して、グロッシの下にある明るい下塗りの層が光を反射する効果を利用していました。油彩技法では地塗りの色や絵具の透明さや塗り重ねの順序を変えることで簡単に別の色を作ることが出来るので、その後画家たちは油絵具をますます自分なりの自由な方法で扱い様々な表現が可能になりました。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
中世の禁欲的な時代と、14世紀中ごろのペストのヨーロッパでの流行で全人口の3分の1が亡くなった後、その反動で人々は再び人間や自然を信じ、「人間性の再生」として、ルネサンス時代が到着します。もちろん神を否定したのではなく、表現の仕方をより人間に寄り添う形になったというものです。そして、人の眼から見える自然な見え方を忠実に描こうとした3人の天才をはじめ、さまざまなアーティストたちが、人間賛歌の表現をした時代でした。そしてその技術を可能にした油絵具など、新しいツールもそろうことでよりその表現力の幅が広がっていきました。