ギリシャ・ローマ時代の色ではテトラクロマティスム(白、黒、黄、赤)といった限られた色彩でしたが、聖書では色彩はどのように使われていたのでしょうか。
ここでは、聖書における色の象徴的な使われ方についてみていきたいと思います。
光や色は神がつくられたという考えのキリスト教の文化はステンドグラスなど、とてもカラフルな世界です。
聖書において用いられる象徴
キリスト教はその成立の過程において、様々な迫害を受けたため密教化していろいろなシンボルを用いるようになります。
特に、キリスト教は神の子イエスが十字架に磔にされることで人間の罪がすべて贖われる、という象徴的な宗教なので、様々な象徴があります。
例)十字架→キリスト教そのものの象徴。 パンと葡萄酒→キリストの血と肉体の象徴
魚→イエスキリストや信徒の暗証。 茨の冠→受難のシンボル。 子羊→従順な信徒
キリスト教では色彩もまた、神の摂理を象徴するシンボリズムとして用いられます。
「旧約聖書」や「新約聖書」では色がいたるところで象徴的に用いられ色を神格化することで、創造者である神の秘儀を伝えるメッセージとして表現されます。
神としての光
「神は光あれといわれた。すると光があった」(創世記1-3)
「ここにひとりの人があって、神から使わされていた。その名をヨハネといった。この人は証のためにきた。光について証をし、彼によって、すべての人が信じるためである。(中略)すべて人をてらす誠の光があって世にきた」(ヨハネによる福音書1:6-9)
キリスト教美術では、神は黄金か光そのものとして象徴されます。
例)1.ビザンチン美術にみる黄金色の背景や後光や光輪などは光の具体的な表現。
2.ステンドグラスの色ガラス…外界の光を投影して色彩を放つ。
薄暗い教会堂に差し込む一条の光は神そのものの表現。また神は光であるがゆえに白でも表現される。
聖書が伝える神の姿は、どのような色にも染まらない白で描かれていて、中世以後はマドンナ像は赤はドレス、青のマントとされていますが、降臨のマドンナは天の人として白いドレスで描かれています。
ステンドグラスにみる神の世界
中世のステンドグラスを作るガラス職人のパレットには、光を通さない茶色や灰色、また黒は入っていませんでした。
光である神と人間との契約の証として虹が描かれ、まさにステンドグラスの色は光を通すことによって神との契約としての虹を表現しています。
特にシャルトル大聖堂やノートルダム寺院のステンドグラスは光がそこを通過するだけではなく、光がそこにとどまり、窓に宝石のような輝きすら与えると伝えられています。
ステンドグラスは神と人との契約を具体的に表現したものなので、文字が読めなかった昔の人にも聖書の内容がわかるような仕組みでもありました。
聖書に書かれた色彩
聖書では、シナイ山で神がモーゼに呼び掛けた時、イスラエルの人々の捧げるべき供え物として細かく記されています。
「彼らの作るべき衣服は次の通りである。 胸当て、エポデ、衣、市松模様、帽子、帯である。彼らは金糸、青糸、紫糸、緋糸、亜麻の撚糸を受け取らねばならない。そして彼らは、金糸、青糸、緋糸、亜麻の撚糸を用い、巧みな技をもってエポデを作らねばならない」(出エジプト記28:5-6)
「またその中に宝石を四列はめ込まねばならない。すなわち、紅玉髄、黄橄欖石(きかんらんせき=ペリドット)、水晶の列を第一列にし、第二列目はザクロ石、瑠璃、赤縞めのう、第三列目は黄水晶、めのう、紫水晶、第四列目は黄碧玉、縞めのう、碧玉であって、これらを金の編み細工の中にはめ込まなければならない」(出エジプト記 28:17-20)
ここには、神の供え物とするべき衣服や、宝石の色が記述されています。
ビザンチンからルネッサンスに至る数多くの壁画や画家たちが、聖画像やモザイク画、壁画を描く際に、これらの色を神と人との契約の色として描いています。
天使やキリストは多くの場合、紫の衣服を着てまた、赤の上衣や青の外套を着るといった色のシンボリズムは、このように旧約聖書に書かれている聖句を形にしたものになります。
またこれらの宝石は、古くから不思議な魔力をもつ護符や治療薬として珍重されていたもので、宝石は死後の世界の魂の支えで、来世への俗界の身分を継承する一つとして何よりの宝物でした。
キリスト教の神は、荒野に建てる幕屋や戸口の掛物は、その色を四列に並べた石の座席に似合った天上的な色にするよう説いています。
つまりは、「赤・紫・黄・緑・青・橙」の虹のような色とりどりに輝いているもので、キリスト教でいう天国が十二の宝石の色で彩られていると述べています。
色の象徴
白→神そのものを象徴し、霊魂の無垢さ、思想の純潔さ、生命の崇高さを意味する。
金・黄→主権者、すなわち神を表現するとともに、太陽、愛情、不変、威厳、知恵を表す。また懺悔者もあらわす。
赤→二面性がある。 神の愛とキリストの血の犠牲の象徴→赤は聖別された色。
他方では赤は世俗さを表す色でバビロンの大淫婦が緋色の透き通るベールを着ていることを記している。
緑→モーゼが神の手から受け取った石盤は、神々しいサファイアでできているといわれている。
神の円盤はエメラルドグリーンであり、緑は地球を表し未来の多収穫の望み、誕生を意味し、希望を象徴する。
青→青は一般的に晴れた空、神の国を象徴する。ビザンチンの壁画では、黄金か青で表現されることが多い。
青はまた無窮、信念、真実、婦人の貞節を表している。
紫→至上の色とされ、純白の衣裳に続いて、神の色として聖別されている。特に王室や法王を表す色と認められている。
灰色→宗教改革以前の目録には白と呼ばれていた。
黒→「神は光と闇とを分けられた」とあるとおり、闇を代表する色。物心両面の暗黒の本質として表現される。
ビザンチン美術の色彩の意味
また、キリスト教を迫害してきたローマですが、コンスタンチヌス大帝が改宗したことから、ローマ文化はキリスト教の影響を強く受けるようになります。それによりビザンチン美術の色彩は以下のような意味を持ちます。
黄金色→天上界、ヤーウェイの神の座するところを表現する色。
白→キリスト、天使、使徒、聖者、聖職者などの栄光、神聖、純潔など。
青→無窮、信念、神聖、真実。
緑→自然の恩寵、慈愛、希望。
紫→神に次ぐ神性、高貴、栄光、王室、権威。
赤→神の慈愛、恵の象徴、殉教。
黒→悪、暗黒、清貧。
黄→謙譲。また中世において黄色は賤色とされた。中世絵画においては裏切り者のユダの色とされまた宗教裁判で異端とされた囚人服は黄色であり、キリスト教国においては1833年まで聖職者が黄色の衣服を着用することは固く禁止されていた。
*キリスト教では賤色とされた黄色ですが逆に東洋、特に中国では皇帝を表す至上の色とされます。
原色にみる神聖さ
14世紀15世紀の初期ルネッサンス時代には、色彩には象徴的な序列があると考えられていました。
色の重要性はそれぞれの色に与えられた価値によって決められると同時に、純粋で鮮明な色は「神聖さ」があるとされていたため、
「明るく澄んだ色彩は神の創造の美を反映し、混ぜた色彩は堕落を表す」とされました。そのため染物師は卑しい職業とされ、
都市によっては染物師が「最も軽視されている職人階級」に属していたケースもあったようです。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
日本の文化とは異なる、キリスト教による色の文化ではまた違った価値観がありますね。特に中国から影響を受けた日本では陰陽五行説の五色が黒、白、赤、黄、青ですが、この色はすべての色を作るもとである色料の三原色(赤=紅・黄=刈安・青=藍)に白・黒であるため、このことから飛鳥時代には、混色により色を作り出すという基本的な色彩表現が確立されていたことを意味しています。そして色料の混色の原理は減法混色なので、作り出された色はどうしても濁った中間色の色になってしまいます。そのため、日本の色彩の特徴は濁色文化(中間色の文化)といわれることがあります。 しかし、キリスト教では色は神がつくられたものであり、人が混色して色をつくりだすことは卑しいこと、とされ、混色自体を卑下する文化であったため、色を求めるためには、混色して色を作るのではなく、そのものずばりの色を求めるようになります。その結果、キリスト教の国々では鮮やかな色を好む文化への基盤となります。こうした歴史を知ることは、その国の文化がその国に住む人の色彩感覚にいかに影響を与えるかがわかり、とても興味深いものになります。
このように文化や宗教の違いにより、色への解釈の違いもいろいろありますね