色の勉強をしていると色の視点から見た日本や世界の歴史を勉強することになります。

ここでは、室町時代についての色との関わりをみていきましょう。

室町時代について

朝廷に権力を取り戻そうとした後醍醐天皇は、

足利尊氏・新田義貞(にったよしさだ)らにより鎌倉幕府を1333年に滅ぼします。 

新田義貞

 

しかしその後、後醍醐天皇が掲げた建武の新政が武士の反感を買い、後醍醐天皇は足利尊氏に攻められ京都から奈良に逃げます。

こうして室町幕府が成立します。

室町時代の文化の特徴

鎌倉時代での政治と文化は、その中心を東西に分けていましたが、室町時代は再び京都に合一され、政治・文化ともども武家である足利氏により掌握躍進されるようになります。

禅宗の影響による水墨画の世界観

足利尊氏は全国六十州の国ごとに一寺一塔の建立を発願します。戦没者の慰霊のためという名目でしたが、実際は幕府の威光を知らしめるためでした。

安国寺です

 

こうしたことは彼が帰依した学僧、夢想国師の影響があったと伝えらえています。そして禅僧の多くは文芸に通じ詩文に長じていたため名声を高める僧が輩出され、こうして禅宗が説く思想と、禅院で想像される文化の数々は武家の精神に入っていきます。

竜安寺の石庭です
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夢想国師は、鎌倉時代〜室町時代に活躍した禅僧で、現代の世界遺産に選ばれている天龍寺庭園や、西芳寺庭園(苔庭)をはじめ、多くの寺院に夢想国師が手掛けた庭園が残っています。

わび・さびの世界観による無彩色

茶の湯の世界

特にわび、さびの世界を表したものが「茶の湯」です。そしてその目指すところは水墨画の墨の濃淡によって真髄を極めようとし、極力目障りになるような色を払拭するようになります。

わびとさびの世界

「わび」とは「寂しい、侘しい(わびしい)」という意味と、「不足の美」という「足りないものを美しい、満足だと思う」精神のことです。

「わび」を表している言葉として、三夕の歌の一つの藤原定家(ていか)の歌の歌が有名です。

「見渡せば、花も紅葉もなかりけり 浦のとまやの秋の夕暮れ」の心境といっています。

さびとは、美的理念。閑寂の中に奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美しいさまを言います。単なる「さびしさ」「古さ」ではなく、さびしく静かなものが、一層静まり、古くなったものがさらに枯れ、そのなかにかすかで奥深いもの、豊かで広がりのあるもの、あるいは華麗なものがあらわれてくる。そうした深い情趣を含んだ閑寂枯淡の美が「さび」です。

老いて枯れたものと、豊かで華麗なものは相反する要素ですが、それらが一つの世界の中で互いに引きあい、その世界を活性化するそうした美しさを指すといいます。

つまり、色彩で表すと、白・黒・灰色の色を基調としてながら、それにアクセントとなる色を配して変化を求めつつ、全体には「しっとりした」ものが感じられるような雰囲気や色の表情を出すというのが、この時代の美意識です。

「墨に五彩あり」といわれるように、墨は薄め方や運筆によって繊細な味や奔放な味、またかすれなど、様々な味を出して、色々な色調を産みます。

こうした水墨画の世界のようなさびの文化が室町時代の色の特徴の一つといえます。

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無彩色の世界観は現代の日本人の感覚でも好まれていますね。

能装束による華やかな色彩

能装束にみる華やかさ

室町時代は染織技術がさらに発展した時代です。

それは明国(みんこく:中国)との日明貿易によって染織品が輸入され、またさら明人織工の渡来があったことが原因です。

その結果、京都以外の周防の大内氏や堺・博多の商人などの貢献もあり、山口や堺、博多の地方都市にも機織り業が盛んになります。

このことは当時の生活文化面、とりわけ服飾面を見た場合、新しい武家社会の染織がつくられていくことになります。つまり、外来の高級染織により武家がより洗練された衣服の文化を作ることになります。その1つが能装束になります。

能はもともと地方で行われていた、田楽や猿楽などの土着的な芸能が、室町三代将軍義満により大和猿楽の観阿弥、世阿弥親子を都に呼び寄せ、洗練された芸能として完成させてことに始まります。

富と権力を得た義満は、役者たちに豪華な衣装を着せて演じさせることを楽しんだと思われます。

中国の明国から唐織などの新しい折の技術が輸入されて、中国伝来の技術と文様が反映されまた、織と刺繍の美しさ、例えば、大袖にみられる、牡丹と唐草文や電竜文などの大胆なデザインを受け入れる感覚はこの時期ならでは斬新性といえます。このような能装束はまさに絢爛豪華という言葉がまさにふさわしく、唐織、縫箔、厚板(あついた)などの数々の衣裳が役者に与えられます。

唐織(からおり…

能装束を代表するもの。女役が摺箔・縫箔などを着つけた上に、表着として用いるもので多色文様を織り出し、金銀糸を豊富に用いた豪華な衣装。また文様に紅色が用いられているものは若い役柄、紅色がないものは老け役に用いられます。

摺箔(すりはく)…

女役が唐織の下などに着つけて用います。型紙を用いて裂地に糊を置き、その上に金銀の箔をのせて文様を表します。江戸時代にはしばしば刺繍文様がくわえられました。

縫箔(ぬいはく)…

女役が肩を通さず肌脱ぎの形で腰にまとって用いることから腰巻と呼ばれます。文様は、刺繍(縫:ぬい)と摺箔で表されており、一般の小袖にもっとも近い感じのものです。

厚板(あついた)…

男役が着つけに用いるもので、唐織のように多色で文様を織りだしていますが、その色と文様は男らしさを強調するようなものが用いられています。また縞や格子のものもあります。

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非常に豪華絢爛で、華やかな色を用いた能衣装ですが、考えてみれば、現在のように照明があるわけではなく、明かりは炎の明かりを使うしかないことを考えると、遠くからでも見えるようにするためにもはっきりとした衣裳を使わないとならないということはあったのかなぁと思います。

金閣寺にみる金色

金閣寺を立てた足利義満は、中国皇帝より「日本国王」の称号を受けており、財力も朝廷とは比較にならないほど保有していました。

金閣寺(舎利殿)を建立したとき、義満はある思想をもとに建立したといわれています。それは3層目と2層目はこれ見よがしに金箔をはり金色一色ですが1階部分は素木をそのまま使ったような黒になっています。

これは、この舎利殿を使うことで公家や貴族社会の終焉と新たな武家社会の到来を意味し、その武家社会の統治者であり、王としての意味を誇示していたということです。また金鉱を自分が所持しているという権力の象徴や金は変色変形をしないので「永遠」や「不老不死」を象徴しているため、金を使ったともいわれています

 

まとめ

いかがでしたでしょうか?

室町時代は、禅宗の影響が大きく精神性が高い文化がはぐくまれ、わび・さびの文化など、「完璧をもとめない」という日本人ならではの美意識はこの時代から育まれました。

現代の私たちに、「わび、さび」という言葉の意味を説明できるか?といわれると難しいところもありますが、禅寺の庭園や、お能の幽玄な世界を日本人としての皮膚感覚として理解できるところもあり、ぜひこうした日本ならではの文化は後世に伝えていきたいものですね。